ワタシはなにかを創っている人間が好きです。
これは、かっこよく言うとリスペクトだとも言い換えられますね。
その質というかレベルは関係なく、創作の素晴らしさを理解している人間を、私は無条件で尊敬できる性質なの
です。
蛇足を承知で、理由を示してみます。
もちろん、言葉にすることで、本質からは遠ざかる。
しかし、多くの場合、言葉を尽くすことでしか伝達行為が成立しないのも、また事実なのです。
話を戻そう。
日常的に創作に勤しんでいる人間に共通するのは、とにかく客観性が優れている、ということです。
これは、「創る」、という行為で磨かれる様々な能力のなかでも、もっとも重要な要素だと思う。
さらに、客観の視点に立つということは、当然、前提として自分自身の心の中における自覚力も磨かれる。
自覚、つまり自分の位置を正確に把握している人間というのは、清々しいくらいに格好良いものなのです。
創るという、極めて非生産的な活動をすることで、自身が豊かになっていく。
これほど素晴らしくて奥ゆかしい行為があるだろうか。
すくなくとも、ロジックの欠片もない癖に、原発反対を大声で叫んでいるだけの連中よりは、よっぽど人間的な行為ではないかと思います。
あの手の連中に欠けているのは、まさに客観から生まれる自覚力に他ならない。
だから、近所迷惑も顧みず、デモという名目で大人数で大声を挙げている連中は、よく考えた方が良い。
まずは、直感的に自分を見つめなおして恥ずかしい、という当たり前の感情を素直に認めることから、始めてはどうか。