ブログにまちうける未来とは…?

なんか詩やら漫画家の話が続いたので、いっそこのまま突っ走ってやろうかと思案中のワタシです。

ただ、こういう内容って実際に書くとわりとヘビィで、消耗が激しいんです。

ワタシの考えをただ吐き出しているだけだし、もっと気楽に、とも思うけれど、まあ、そういう心情を吐き出す場だったらTwitterでもいいし。

そういや、私はまだまだビギナだけど、最近のブログってどうなってるんでしょうね。

TwitterやFacebook、それにmixiなんかのSNSが大ブームになって、ブログのスタイルとかも変わりつつあるのでしょうか。

それとも、すでにブログというジャンルはある程度洗練され、確立されたものなのか。

まあ、でも、変わる必要はないのでしょうね。

現代は細分化された文化が無数に存在できる時代だから。

もちろん、それを可能にしたのはネットが極めて身近になったということ。

だから、どうしたってあらゆるものの規模は縮小へと向かうし、また、それで良いのでしょう。

以前のように、文化そのものが消滅することはない。

存在はできる。

それが黎明期を終えた過渡期の宿命でもあるのだから。

ブログ、BLOG…。

もしかしたら、数年先の未来、そんな言葉を知らない子どもが大半を占める時代がくるかもしれない。

しかし、それでもブログは消えない。

ちょうど、電子書籍が普及しても紙の本が消えないように。

そして、そんな時代に残る、あるいは価値が認められるブログには、きっとなにかの秘密がある。

そもそもブログとは、本来コミュニケーション・ツールとしての存在価値はないに等しい、というのが私の持論だ。

自分が書く場合は日記感覚で良いし、他人のものを読む場合は、人の思想が滲み出た文章を覗き見ることをただ楽しめば良い。

つまり、ブログの価値は限りなくコンテンツそのものにしか存在しないのだ。

たしかに、汎用性を高めるため、SNS的な要素を取り入れるのも構わない。

アメーバブログなんかがそうだろう。

ただ、繰り返すが、そこにブログの未来はない、と私は思う。

現代において、他者とコミュニケーションを取ることはとても容易です。。

正しいリテラシーを所有していないと、あるときは危険を招くほど、コミュニケーションの網は張り巡らされている。

もちろん、これが悪いということではない。

批判もしていない。

ただ、その網とは無縁の世界があっても良いのではないか、と思うだけだ。

かくいう私は、だからFacebookは嫌いだ。

あのやけに寄り添っている空気が苦手なのだ。

そのぶん、Twitterは良い感じである。

どことなく排他的じゃないか。

さて、まだまだブログ・ビギナなワタシだけれど、ブログはどんなものか。

もうすこし、探ってみたいと思う。

ただ、いまのところ、なかなか悪くない。

そんな小さな満足を原動力にして、たぶん、次回へ続く。