萩尾望都について熱く語ってみる

前回の詩と美の関係性についての続きにもなるのかな…?

美しい文章の書き手というのは、そういない。

小説家では、ワタシの中では森博嗣。これはダントツ。

で、もう一人の天才を語ってみたいと思います。

漫画家、萩尾望都。

漫画家なんだけど彼女の文章は凄まじい。

ひとつひとつがあまりにも詩的すぎて、たまに世界を見失ってしまうほどに私的で素敵です。

あの独特の発想の飛躍、思考のリズムを理解し、味わってしまうと、もう抜け出せなくなってしまう。。

音楽の歌詞なんかでもよく思うけど、一見、意味がわからないのに、なぜか格好良く感じてしまう。

意味がないものほど格好良い…というカタルシスを感じてしまうのです。

そんな文章のメカニズムを分解してみると、愛や恋や友情といったわかりやすい言葉だけを並べた文章とは、なにかが違う。

きっと、萩尾望都や森博嗣の使っている言葉の辞書は、普通ではないのだ。

すくなくとも、私たちが子供のころから使ってきた辞書には載っていなし、また生み出すこともできない。

では、なぜそんな途方もないものに惹かれるのか。

それはたぶん、彼女たちが見ている言葉の世界を見たい、と望む気持ちさえあれば、自分もそこへ辿り着けそうな気がする、という希望に満ち溢れた未来に私が支配されているためだ。

萩尾望都の文章はそれだけ甘く、魅惑的である。

しかしそれは、触れるだけで切れるナイフの断面が反射する、妖艶な光のようなものな刹那でもあるのだ。