詩と美の関係性をワタシ的に探求してみると…

ワタシは詩が好きです。

特に誰の書いた詩は好きとかはなく、どんな詩でも分け隔てなく読む感じです。

詩は、究極の抽象表現なのでは、とすら思う。

具象を一切排除したようなあの潔さに触れることは、自分の髪に纏わり付いた重たい粘着質を熱いシャワーで洗い流すような清々しさを感じられるのです。

最小限の言葉の数で純粋な美や価値に触れた、と受け手に錯覚させる「なにか」が詩にはある。

詩に限らず、この「なにか」を瞬時に感じられるかどうかが、創作の唯一の価値だと思います。

そこに私は際限のない美を感じてしまうのです。

たとえば、映画のクライマックスで、わざとらしく感動的な音楽を挿入し、効果を増幅させる。

映画のために書き下ろされた脚本をヒットしたからといってわざわざ小説化する。

これらはすべて邪道だと私は考えます。

小説でしか表現できないことがそこにあるから小説なのであって、

もし漫画や映画でもそれが表現可能なら、小説なんてものはいらないし、映画や音楽、漫画や詩でもそれは同様です。

その点、詩は潔い。

一遍の詩が漫画や小説になったという事例がないことが、それを証明しているのではないでしょうか?

日本語でも英語でも他の言葉でも、同じフォーマットであることもその孤高さが際立つのではないでしょうか?

繰り返すが、詩は潔い。

その圧倒的な優しさのなかで、私は簡潔な美をさがしています。見つけてしまう機会が多いのです。